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東京地方裁判所 平成4年(ワ)8995号 判決

原告

石川健

ほか一名

被告

石島明成

主文

一  原告らと被告との間において、原告らの被告に対する別紙事故目録記載の交通事故に基づく損害賠償債務は金二二六万四九二〇円及びこれに対する平成三年一〇月六日から支払済みまで年五分の割合による金員を超えて存在しないことを確認する。

二  原告らのその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを五分し、その一を原告らの、その余を被告の負担とする。

事実及び理由

第一事案の概要

本件は、平成三年一〇月六日に発生した別紙事故目録記載の交通事故(以下「本件事故」という。)において、同目録記載の加害車を運転していた原告石川健(以下「原告健」という。)及び加害車の保有者である原告石川良二(以下「原告良二」という。)が、同目録記載の被害車を運転していた被告との間で、同人に対する本件交通事故に基づく損害賠償債務が存在しない旨の確認を請求した事案である。

これに対して、被告は、本件事故によつて、右殿部挫傷、右坐骨神経麻痺、陰部神経麻痺、交換神経性ジストロフイー、カウザルギーの傷害を受けたために、平成三年一〇月六日から平成四年四月七日まで入通院を余儀なくされた旨述べて、原告健に対しては民法七〇九条に基づき、原告良二に対しては自賠法三条に基づき、少なくとも治療費五五〇万八〇二一円、入院雑費二一万八四〇〇円、休業損害二七六八万三〇九四円(予備的に六六四万〇五三八円)、慰謝料二六四万円、合計三六〇五万一四九四円(予備的に一五〇〇万六九五九円)の損害賠償請求権がある旨主張する。

一  争いのない事実等

1  本件事故が発生したこと(なお、原告らは衝突ではなく接触である旨述べるが、これは、衝突の衝撃の程度が軽度であることを主張する趣旨にとどまり、衝突した事実自体を争うものではない。)。

2  本件事故後における被告の診療経過及び診断傷病名は以下のとおりである(なお、被告は、後述する傷病のほかに、後記各病院において糖尿病の診断を、後記河北総合病院において腰部挫傷、アルコール性肝障害、神経因性膀胱の診断を、後記スズキ多摩記念病院では、アルコール性肝障害、尿路感染症、右足潰瘍、右足陥入爪、頻脈の診断を受けているが、これらの傷病と本件事故との因果関係は争点となつていない。)。

(一) 篠原病院(平成三年一〇月六日及び翌七日に通院)

診断傷病名 右膝、下腿挫創傷(甲六)

(二) 河北総合病院(同年一〇月八日から平成四年一月二一日までの間、一〇六日間入院)

診断傷病名 右下腿挫傷擦過傷、右殿部挫傷、右坐骨神経麻痺、陰部神経麻痺(甲七、甲八)

(三) スズキ多摩記念病院(同年一月二一日から同年四月七日までの間、七七日間入院)

診断傷病名 右殿部挫傷、右坐骨神経麻痺、陰部神経麻痺、交感神経性ジストロフイー、カウザルギー(甲九)

3  被告は、本件事故前である昭和六一年四月二二日午後二時三〇分ころ、東京都中野区中央五丁目二九番先大久保通りを横断しようと立つていたところ、バツクしてきた奥村敏幸運転の普通乗用自動車と接触する交通事故(以下「前回事故」という。)により、外傷性右坐骨神経損傷の傷害を受け、同六三年五月二六日に症状固定となつた。その症状については、右坐骨神経障害による歩行障害、右下腿以下のしびれ、知覚鈍麻等により、右足関節・右母趾が自動運動不能、右下肢、臀部に筋萎縮があり、機能的には全廃の状況、歩行が鶏歩で一本杖を要し、坐位は梨状筋部に圧迫痛のため三〇分が限度という状態であつた。そのため、被告は、右足関節の用を廃したものとして自賠責保険後遺障害等級八級七号、右足指の全部の用を廃したものとして同九級一五号が適用されて、併合七級が相当であるの認定を受け、昭和六三年七月加害者から示談金として一七〇〇万円を受領した(甲二)。

4  被告は、訴外三井海上火災保険株式会社から、本件交通事故による損害賠償として、合計九五万円を受領している。

二  争点

1  被告に対して加えられた、本件事故における衝突の衝撃の程度

(一) 原告らの主張

本件事故は原告車の右前輪タイヤの外側部分と被告車の右側部分とが接触した程度のものであるから、被告の身体に対する衝撃は極めて小さい。

(二) 被告の認否

本件事故は、原告車と被告車との出会い頭の衝突によるものであり、被告に対する衝撃の程度は大きかつた。

2  原告健の責任及び被告の過失相殺割合について

(一) 原告らの主張

原告健は、前照灯を点灯し、右折指示をして一旦停止した上、時速約五、六キロメートルの速度で徐行しながら右折していた。

しかし、被告は、原告車が右折しようとしているのを知りながら、無灯火のまま時速約一〇キロメートルの速度で、暗闇から突然道路に出て横断しようとして原告車に衝突したものであり、また、被告が事故当時飲酒していたことに照らすと、被告には相当程度の過失がある。

(二) 被告の主張

原告車の走行態様は不知、被告車が無灯火で、原告ら主張の速度で走行していたことは否認する。

被告が飲酒していたことは認めるが、運転には影響ない程度である。

本件事故は、原告健の前方の安全確認義務懈怠に起因するものである。

3  被告の傷病と本件事故との因果関係及び被告の傷病に対する前回事故の寄与度

(一) 原告らの主張

前示一2の(一)ないし(三)の各傷病(以下「本件傷病」という。)のうち、本件事故に起因する被告の傷病は、約四週間程度の治療で足りる程度の右膝、下腿挫創傷ないし右下腿挫傷擦過傷のみであり(以下「本件1傷病」という。)、その余の傷病(以下「本件2傷病」という。)は、いずれも本件事故とは因果関係はない。

仮に、本件2傷病と本件事故との因果関係が認められるとしても、本件2傷病は前回事故に起因するところが大きく前回事故による相当程度の寄与度を考慮すべきである。

(二) 被告の主張

本件事故前においては、被告には、前回事故による症状は残存していなかつたのだから、本件傷病はいずれも本件事故に起因するものである。

4  被告の損害に対する被告の治療態度等の寄与度

(一) 原告らの主張

被告に対する治療は約四週間程度の通院治療で十分である。

しかるに、被告は、本件事故とは無関係な糖尿病やアルコール性肝障害の治療、検査等を受けていたのみならず、病室に不在であつたり、飲酒していたりする等、入院治療中の被告の治療態度等によつて入院が長期にわたつたのであるから、損害額の算定に当たつては、かかる事情も斟酌すべきである。

(二) 被告の認否

争う。

5  被告の損害額

(一) 被告の主張

(1) 治療費 五五〇万八〇二一円

被告は、河北総合病院において四〇二万九〇七〇円、スズキ多摩記念病院において一四七万八九五一円をそれぞれ治療費として要した。

(2) 入院雑費 二一万八四〇〇円

被告の入院期間は、河北総合病院の一〇六日間、スズキ多摩記念病院の七七日間の合計一八二日間(平成四年一月二一日は転院日のため両病院で入院日が重なつている。)であるところ、一日一二〇〇円として、計二一万八四〇〇円が相当である。

(3) 休業損害 二七六八万三〇九四円

被告は、本件事故によつて、本件事故当日から平成四年九月末日までの間、稼働不能の状態にあつた。

被告は、本件事故前に、リベルテコーポレーシヨンという屋号でビルの清掃消毒の事業を営んでいたが、本件事故によつて被告が働けなくなつたために営業継続が不可能となつたことにより、毎月一二七万七六〇〇円以上の収入を得られなくなつたのだから、この月収を基準に休業損害を算定すべきである。

仮に右月収が認められなくても、原告が本件事故当時四五歳であり、高専・短大卒程度のレベルにある朝鮮大学を卒業しているのだから、賃金センサス高専・短大卒四五ないし四九歳の平均年収である六七四万九四〇〇円を得ていたと認められ、この年収を基準に休業損害を算定すべきである。

(4) 慰謝料 二六四万円

被告は、平成三年一〇月八日から平成四年四月七日まで入院し、退院後も平成四年一一月までは前示河北総合病院で通院治療を受けており、平成四年一一月までに限つても、これを慰謝するためには右金額が相当である。

(二) 原告らの認否

(1) 治療費 一七万四〇〇〇円

原告らが本件事故と因果関係のある旨主張する前示傷害に対する治療費としては、一七万四〇〇〇円が相当である。

(2) 入院雑費 〇円

原告らが本件事故と因果関係のある旨主張する前示傷害に対する治療のために入院の必要はない。

(3) 休業損害 四一万〇四七〇円

被告がビル清掃事業を営んでいたことを否認する。仮にそうであるとしても、交通事故によつて事業継続できなくなつたことを否認する。

休業損害の算定に当たつては、平成三年度の賃金センサス男子労働者学歴計平均年収(五三三万六一〇〇円)を基礎とし、本件事故と因果関係のある前示傷害に対する治療期間である四週間について認めるのが相当であるところ、その額は、以下のとおり四一万〇四七〇円である。

五三三万六一〇〇円÷五二×四=四一万〇四七〇円

(4) 慰謝料 二三万三三三三円

原告らが本件事故と因果関係のある旨主張する前示傷害に対する治療は通院のみで足り、その慰謝料としては、二三万三三三三円が相当である。

第二当裁判所の判断

一  争点1について

1  甲一、二〇、乙二六、原告健本人尋問によれば、本件事故現場付近は別紙交通事故現場見取図(以下「別紙図面」という。)のとおり環七道路から環八道路に通ずる車道幅員一〇メートルの中央線で二分された早稲田通り(以下「本件道路」という。)と住宅地に通ずる、車道の幅員三・八五メートル、路側帯〇・六メートルの小道が交わつたT字路交差点であり、本件道路の両側には幅員二・四五メートルの歩道があり、本件道路は歩行者横断禁止とされていたこと、右歩道は自転車の通行が許されていたこと、小道から本件道路に出る際は一時停止の規制がなされていたこと、同交差点は、日曜、休日を除く午前七時から九時、午後五時から七時までの間、原告健が走行してきた道路からの右折は禁止されていたこと、本件事故日は日曜日であつたため、右道路からの右折は可能であつたが、天候は小雨であつたこと、本件事故前に、被告は、同交差点南にある駐車場の入口付近に自転車を止めて同交差点南東角にある「そば処」とあるそば屋で夕食をとり、その際ビール一本を飲んだこと、食事後その自転車に乗つて帰宅するために、被告は本件道路を横断しようとしたところ、原告車は停止しており、被告は自分が横断するのを待つているものと思つてそのまま進んだこと、被告車は別紙図面〈イ〉の地点で原告車と衝突した後、同〈イ〉の地点から一・二メートル離れた同〈ウ〉の地点に被告からみて左側に倒れたこと、他方、原告健は、前記小道から本件道路に出て右折するために別紙図面の〈1〉の地点で右折のウインカーを点灯させ、同〈2〉の地点で一時停止し、北側の歩道の歩行者等の有無を確認した後さらに前進して同〈3〉の地点で停止したこと、同〈3〉の地点で本件道路の左右の交通状況を確認したものの、前方の歩道(北側の歩道)の歩行者等の有無について確認しなかつたこと、そのとき本件道路の右方向の環八方面からの車両は少なくとも一〇〇メートル先までは走つておらず、左方向の環七方面からの車両も来ていなかつたため、原告健は余裕をもつて右折することができる状況にあつたこと、原告健は右交通状況を確認した上で時速五、六キロメートルの速度で徐行しながら右折していたこと、原告健は、急に自転車が飛び出してきて、別紙図面〈5〉の地点で原告車の右前の横の部分と被告車の右側面が衝突したこと、原告車は同〈5〉から一メートル離れた同〈6〉の地点で停止したこと、原告健は、衝突したときにこするような音を聞いたが、金属的な音は聞いていないこと、事故後、原告車の右前輪のタイヤにこすり傷が発見されたが、それ以外に傷はなかつたことが認められる。

なお、原告健は、右折時に左右の各方向から来る車両がなかつたことから、余裕をもつて右折していたことが窺える上、原告車が被告車と衝突した地点から一メートル離れた地点で停止していることからすると、原告健が徐行しながら右折していたとの同人の供述は信用できる。

2  以上の事実を前提にすると、本件事故における衝突の態様は、原告車の右前輪タイヤの外側部分と被告車の右側部分とがこすり合うようなものであり、衝突時において原告車により被告の身体に対して直接加えられた衝撃の程度はさほど強いものではなかつたと推認することができる。被告は、転倒した地点が衝突地点よりも一・二メートル離れていることをもつて、衝撃の程度が強かつた旨述べるが、被告車が走行する勢いや自転車の車高等を勘案すると、衝突地点と転倒地点との間に右程度の距離があることは不自然ではない。

3  ところで、被告は、原告車との衝突によつて転倒しており、被告が本件事故により少なくとも右膝、右下腿挫傷擦過傷の傷害を受けたことが当事者間に争いがないことから、被告は、衝突により被告側からみて左側に倒れた後、身体が回転するなどして被告の右半身が直接路面に衝突したと推認することができる。

二  争点2について

1  前示認定の事実によれば、原告健は、右折に先立つて本件道路の左右の安全確認のみならず、前方の歩道(南側の歩道)から歩行者や車両等が本件道路に進入してくる状況にあるか否か等についてその安全を確認しなければならないにもかかわらず、これを怠つた過失があるというべきである。

2  次に、被告車の走行状況について検討する。

(一) 被告車の速度について

前示認定のとおり、原告健は、本件事故直前、時速約五、六キロメートルの速度で徐行しながら右折していたこと、原告健は、衝突直前における被告車の速度が原告車のそれよりも比較的速かつたように感じたこと(原告健本人の供述)からすると、被告車の速度は時速約一〇キロメートルであつたと推認することができる。この点、被告は、乙二六において、ゆつくり帰宅しようとしていた旨述べるが、幹線道路において自己の横断を待つて停車している車両を前に、被告がゆつくり横断していたとは通常考えにくい。

(二) 無灯火の点について

前示認定のとおり、原告健は、右折に先立つて前方の歩道を注視していなかつたが、右折進行中においては、自車のライト方向を見ていたことからすると自己の進行方向を注視していたことが認められる。他方、被告車は時速約一〇キロメートルで走行していたのに、原告健は、衝突直前まで被告車の存在に気づかなかつたのであり(原告健本人の供述により認ある。)、仮に被告車の前照灯が点灯していれば、原告健は衝突前のかなり早い段階で被告車の存在に気づき、衝突地点の相当手前で制動措置等をとつていたものと考えられることからすると、被告車は発電機を作動させることなく無灯火で走行していたと推認することができる。

3  そうすると、本件事故現場の道路は、自転車通行可能の歩道が設置され、歩行者の横断が禁止された幹線道路であり、原告車進行方向からの車両の右折が本件事故の発生した時間には解除されている(甲一、甲二〇の写真〈3〉と〈4〉により認める。)のだから、被告は、歩道から車道に出て右道路を横断しようとする際には、周囲の交通事情に配慮して十分に安全を確認した上で横断しなければならないにもかかわらず、前方から原告車が右折しようとしているのを知りながら、時速約一〇キロメートルの速度で無灯火のまま横断しようとした過失があると認められる。

以上の事実を総合すると、本件事故における原告石川健と被告との過失割合は、五対五と認めるのが相当である。

三  争点3について

1  前記争いのない事実に甲二ないし二一、乙二、三、四の一ないし八、五の一ないし四、一五に弁論の全趣旨を総合すれば、以下の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

(一) 前回事故による治療

昭和六一年四月二二日午後二時一〇分ころ被告は、東京都中野区中央五丁目二九番先大久保通りを横断しようとして立つていたところ、バツクしてきた奥村敏幸運転の普通乗用車に接触され、トランクに臀部を乗り上げる格好になつたが、転倒しなかつた。被告は、当時台東区台東二―二六―八若林ハイム三〇三号において株式会社大総の代表取締役をしており、事故後歩いてそのまま帰宅したが、その後右足の痺れが出てきたので、同日浅草の永寿総合病院に通院し、外傷性右座骨神経障害と診断され、投薬治療を受けた。同日と同月二三日東京医科大学病院(以下「東京医大」という。)に通院し、右外傷性座骨神経損傷と診断され、同月二四日中野区の小原病院に行き腰椎捻挫と診断され、本人の希望で入院するが、同日外泊したまま病院に帰らず、東京医大の救急外来を受診し、精査目的のため同日入院した。そして同年六月一八日まで入院を続け、下肢装具をつけて退院し、同年六月一九日から同年七月六日まで通院し、同年七月七日から同年一二月一九日まで東京都町田市所在の多摩丘陵病院に右外傷性座骨神経麻痺、右下肢カウザルギーの傷病名で入院したが、右入院期間中の同年一〇月一八日、一一月一〇日、一一月二九日、一二月一六日東京医大で受診していた。そして一二月二〇日から昭和六三年五月二六日まで東京医大に通院した。

(二) 東京医大の治療

初期には腰、臀部、腰椎等の検査、筋検査、糖尿病の治療を行つている。昭和六一年四月二二日外傷性腰椎椎間板症の疑いがあり、検査が行われ、同月二四日神経障害ありと診断され、同月三〇日筋電図検査の結果、右股直筋はほとんど正常であつたが、右前脛背筋、右長腓骨筋、右腓腹筋は神経性型を示し、座骨神経障害と診断され、同年六月一八日退院後の同月二〇日右座骨神経損傷と診断された。多摩丘陵病院に入院中の同年一〇月一八日交通事故による右座骨神経麻痺(梨状筋部打撲)のケースと判断され、同年一一月一〇日神経剥離手術が必要と判断され、その手術の時期を確認するため、筋電図による伝導速度チエツク、発汗テスト、担当の伊藤公一医師に手術前のチエツクを要請している。同年一二月一〇日何回かのキヤンセルの後発汗テストと筋電検査を行い、右座骨神経について神経性型が認められ、右腓骨は収縮期を示していると判断された。

同年一二月一〇日教授宛に神経剥離手術についての判断要請をし、更に昭和六二年四月二一日梨状筋部に著明な痛みがあるため骨盤、梨状筋部のCTスキヤンでのチエツクを要請した。同年七月一日の筋電図検査では、右股直筋、右前脛背筋、右長腓骨筋、右腓腹筋はほとんど正常であり、担当者は、患者は協力的でなく、収縮をコントロールしているとも考えられると記載している。CTスキヤンでのチエツクについては、患者のキヤンセルが続き、昭和六二年一二月以来梨状筋部への注射を予定していたが、昭和六三年二月一〇日までキヤンセル等でできず、この日に座骨神経への注射をした。同年二月一七日注射をしても知覚はさほど軽快しなかつたが、同年三月一六日、同年四月一一日梨状筋部へ注射し、注射後は圧迫痛は軽減した。神経剥離手術については、被告が応じなかつたため実施できなかつた。

(三) 被告の治療態度

東京医大入院中にもかかわらず、不在が多く、中には無断外泊と思われる日もあつた。看護記録中不在の記載は、昭和六一年四月二七日から二九日、五月一日、三日から五日、七日、一〇日、一一日、一四日、一六日から一八日、二〇日から三〇日、六月一日、六日、九日、一〇日、一二日、一三日、一五日から一七日までである。医師から被告は安静を護り、病室を離れる際は、車椅子で動くように指示されていたにもかかわらず、病室を頻繁に離れ、しかも歩行していたため、看護婦は、被告の勝手な行動に対し、再々注意しており、五月二七日には「勝手に動かれては管理できないとかなり厳しく注意する」旨の記載があり、六月一〇日には「外出より帰らず。家族に連絡取るが、なかなか行き先分からず。」と記載されている。

(四) 昭和六一年一一月一〇日神経剥離手術が必要と判断されたにもかかわらず、被告が応じなかつたため実施できないまま、昭和六三年五月二六日外傷性右座骨神経損傷について症状固定の診断を受けた。その内容は、右座骨神経障害による歩行障害、右下腿以下の痺れ、知覚鈍麻などにより、右足関節・右母趾が自動運動不能、右下肢、臀部に筋萎縮があり、機能的には全廃の状況、歩行が鶏歩で一本杖を要し、座位は梨状筋部に圧迫痛のため三〇分が限度という状態であつた。

(五) 本件事故後の治療

平成三年一〇月六日、七日篠原病院に通院し、「右膝、下腿挫創、傷」と診断され、それに対して投薬治療がされているが、糖尿病の悪化のため河北総合病院に転医し、外来診療録の現症の中には「右下腿痛、右足の痺れ、右腰痛、力が入らぬ」との記載があるが、傷病名では「右下腿挫傷、擦過傷、腰部挫傷」と診断されている。入院診療録の傷病名を書く欄は当初「右下腿挫傷、擦過傷、腰部挫傷」であり、次に「糖尿病、肝機能障害」が追加され、更に「右座骨神経麻痺、右座骨神経損傷カウザルギー、殿筋コンパートメント症候群の疑い、右下腿コンパートメント症候群の疑い」が追加され、その後「神経因性膀胱」が追加されている。そして最後に以上をまとめた形で「右座骨神経麻痺、右陰部神経麻痺、右殿部下腿挫傷」という病名が記載されている。河北総合病院には同年一〇月八日から平成四年一月二一日まで入院し、外来通院を勧められたが、長期入院を希望し、わざわざ自宅近くの病院より遠い東京都東村山市所在のスズキ多摩記念病院にリハビリ、加療目的で転医した。そこでの病名は「右殿部挫傷、右座骨神経麻痺、陰部神経麻痺、交感神経性ジストロフイー、カウザルギー、糖尿病、アルコール肝障害、尿路感染症、右足潰瘍、右足陥入爪、瀕脈」と多岐にわたつており、同日から平成四年四月七日まで入院した。

(六) 河北総合病院の治療

被告は、事故の際意識消失が短時間あつた旨告げており、入院当初より糖尿病の検査を一番先に行い、糖尿食による入院を決定し、車椅子を使用するよう指示された。その後カルテには検査により同年一〇月一一日肝機能の低下が見られるとの記載があり、一〇月一五日座骨神経、腓骨神経に問題ありとされている。一〇月二三日徒手筋力テストを行い、一〇月二四日「右座骨神経は受傷直後からあつたかどうかは不明。」と記載されている。一〇月二八日肝障害はビールス、薬物性のものではなく、アルコール中毒であると判断している。一一月一日知覚検査を行い、一一月二日筋電テスト、神経伝導速度テストを行い、右座骨神経剥離手術を行うことに決定し、同月一一日右座骨神経剥離手術、右下腿生検手術を行つた。手術記録によると、「梨状筋は搬痕が多く、はつきりしない。梨状筋の直下にて搬痕により神経が圧迫偏平化していた。これを剥離した。」と記載されている。

手術後の同月一二日被告が「何となく右足が温かくなつてきた」と発言し、同月一五日「足背にツーツーとひびくようになつた」と記載され、一二月一七日「右下腿中央位の高さまで何となく知覚がもどつてきた」との記載がある。一二月六日、九日、一三日、一八日仙骨裂孔に硬膜外ブロツク注射を行つた。そして一二月二一日失禁があつたと訴えたが、「失禁はブロツク注射の影響が考えられると思います。現在患者は(手術後ずつと)陰部の疼痛とインボテンスに関して特に心配しているようです。」と記載され、平成四年一月八日「(インポテンツについて)ユージングテストは正常」と記載されている。

またプラセボ(擬薬)を何回か注射している。

(七) スズキ多摩記念病院の治療

河北総合病院の紹介状には「術後下肢痛はほとんどなくなりましたが、陰部から大腿部位痛が主訴となつており、尿失禁(二回のみ)、排尿遅延あります」と記載されている。

平成四年一月二八日カルテに「入院の態度極度に悪し。朝から飲酒、夜間のナースコール、加害者へのおどしの電話(携帯電話を使用している)、とにかくどうしようもない。二月一日エンドとする。」「頻回の飲酒等入院態度に大いに問題あり。強制退院とす。」との記載があり、二月四日「誓約書を書いてから入院態度良くなつた。」、四月七日「退院(なにがなんでも退院)」との記載がある。

(八) 被告の治療態度

河北総合病院に入院中看護記録等に不在と記載されているのは、平成三年一〇月一二日、二六日、二九日、一一月一日、五日、七日から一〇日、一四日、二〇日、二一日、一二月三日、九日から一一日、二一日、二九日(外出中、以上連絡なし)、三一日、平成四年一月二日、五日、一八日から二〇日までである。

またカルテに以下のとおりの記載がある。すなわち平成四年一月五日「そばに麦焼酎九〇〇ミリリツトルがおいてあり、患者酒臭い。タバコの件は吸つてませんよといつたりするので没収する」、一月七日「お酒を飲んだらしく一升ビンほとんど入つていない。鈴木医師へすみません飲酒したと、今後飲酒したら強制退院と指示あり。患者も納得す」、一月一二日「(夜二時)待合室で話をしている。声がひびいているため注意する」「アルコール臭、呂律回らず、言葉乱暴」、一月一三日「アルコール臭、ベツドサイドよりビニール袋に入つているいいちご(焼酎)を発見す」、一月一九日「顔面、眼球赤い、酒臭はつきりせず、廊下で大声を発している」等。

スズキ多摩記念病院では、いかなる理由からか不明であるが、被告を室内から鍵をかけられる部屋に入院させており、被告は当初、前回の事故の事実を告知していなかつた。そして不在と記載されているのは一月二一日、三月四日であり、治療態度については以下の記載がある。すなわち一月二一日「アルコール臭強度、顔面紅潮、飲酒の様子なので注意するも『あんたの鼻が悪いんだ。冗談言わないでくれ』と否定する」、一月二二日「酒臭、室内でタバコをすつている様子」、一月二三日「アルコール臭(小)、タバコをすつている」、一月二五日「アルコール臭、タバコをすつている」、一月二八日「アルコール臭」、三月一一日「酒臭軽度」、三月一一日「顔面紅潮」等。

(九) 東京厚生年金病院整形外科客員部長石川道雄は、前回の後遺症認定時の症状が、その後何らの治療を受けることなく、症状固定後約三年四か月の時点で、機能障害が消失するまで回復することは通常考えられないと判断している。

右認定事実によれば、被告は前回の事故により昭和六一年四月二四日小原病院に入院したものの、腰椎捻挫という診断を不満として、外出したまま東京医大に入院したこと、入院中は安静を守り、病室を離れる際は、車椅子で動くように指示されていたにもかかわらず、病室を頻繁に離れ、しかも歩行していることが多く、医師や看護婦の指示を無視しており、入院態度は非常に悪いこと、神経剥離手術が必要と判断されたにもかかわらず、これに応じないまま併合七級の後遺症認定を受けたこと、今回事故後被告は、意識を失つたことはないのに事故の際意識消失が短時間あつた旨虚偽の事実を告げた他、河北総合病院に前回事故により座骨神経損傷と診断されたことを伝えていない上、平成三年一〇月二四日のカルテには「右座骨神経は受傷直後からあつたかどうかは不明。」と記載されていること、河北総合病院でプラセボ(擬薬)を何回か注射されているので、医師が痛みについて疑問を持つていることが伺えること、河北総合病院では糖尿病、アルコール肝障害の状態であつたが、外来治療を勧められたのに、被告の希望によりスズキ多摩記念病院に入院したのに前記のとおり医師や看護婦の指示に従わないで飲酒喫煙をしていることが多かつたことが認められる。

2  以上を前提として、本件事故と被告の本件傷病との因果関係について検討する。

(一) まず、本件傷病のうち、右膝、下腿挫創傷、右下腿挫傷擦過傷(本件1傷病)については、本件事故により生じたことは当事者間で争いがない。

(二) 次に、本件2傷病のうち、陰部神経麻痺については、同症状が本件事故から一か月以上経過した平成三年一一月二五日に発症していること(乙二)、平成三年一一月一一日の右坐骨神経の剥離手術(以下「本件手術」という。)の後である一二月上旬ころから陰部神経麻痺からくる尿失禁等の症状(乙二)が悪化しており、河北総合病院の鈴木博之医師は、右症状が本件事故とは別の原因によるものであると疑問を持つていたこと(甲七の平成四年一月六日付けのカルテ)からすると、その発症の時期等に照らし本件事故と相当因果関係があると認めることはできない。

(三) 本件2傷病のうち、陰部神経麻痺を除いた右坐骨神経麻痺、右殿部挫傷、交感神経性ジストロフイー及びカウザルギーと本件事故との相当因果関係について検討する。このうち、右坐骨神経麻痺とは、右殿部から右足まで走り、主に膝から下の運動知覚を支配する右坐骨神経が麻痺するために、足首が動かなくなる症状等膝下の部分の知覚運動が麻痺すること(乙二)、交感神経性ジストロフイーとは、抹消神経幹を含む組織の挫滅等に引き続き発生する長期にわたる四肢の疼痛、血管運動性障害による浮腫や阻血、四肢の運動機能障害とともに現れる骨組織の萎縮、これらの症候群のことであり、カウザルギーとは、精神的な興奮等によつてさらにその症状が増悪する灼熱痛のこと(甲二一。「カウザルジア」とは「カウザルギー」と同意語と思われる。)である。

(1) 被告は、前回事故による傷害により、昭和六三年五月二六日まで東京医大において通院治療を受けていたものの、後遺障害認定の担当者から筋力検査において筋力をコントロールしているとも考えられると疑われたこと(甲二の後遺障害認定調査書、甲四、甲五)、その後は前回事故による傷害のために治療を受けていたと認める証拠が全くなく、被告は、本件事故に至るまでは、立ち座りや歩行等の動作を通常人と同様に行つていたこと(乙九ないし乙一三)、被告は本件事故当時、自転車に乗つていたことからすると、被告の前回の後遺症認定自体もつと軽い状態であつたのに重篤な後遺症であるように作為され、このために七級の認定がされた疑いがぬぐいきれない。

しかしながら、他方、前示認定のとおり、被告は、前回事故の治療中の昭和六一年一一月一〇日に東京医大において神経剥離手術の必要があると診断されたのであり、神経剥離手術は、神経が外傷や変形等の原因で瘢痕組織が癒着している場合にこれを切除して神経を周辺から遊離してその動きを容易にするために行うものであることから(甲一四)、右手術が必要と判断されたことにより、被告の右坐骨神経に対して瘢痕組織による癒着があり、これを除去する必要があつたものと推認することができる。そして、前示鈴木医師は、本件手術に先立つて、血腫が坐骨神経を圧迫するために、被告の右坐骨神経麻痺が悪化しているものと考えていたが、右殿部を切開して検索したところ、梨状筋の直下にて瘢痕によつて坐骨神経が圧迫扁平化していたことを発見したので、右搬痕を剥離する手術を行つたこと、坐骨神経の周囲に瘢痕が形成された場合、それによつて坐骨神経が圧迫、扁平化するまでの期間は三か月以上要すると考えられること(甲二一)、右手術後、被告の同麻痺は、平成四年六月一一日の段階で半分程度まで回復していること(乙二)からすると、本件事故後に診断された右坐骨神経麻痺は、前回事故の右坐骨神経障害により神経剥離手術が必要とされたのに治療を放置したために形成された搬痕が同神経に癒着してこれを圧迫、扁平化させていたところ、本件事故が契機となつて症状が悪化したことによるものと認めるのが相当である。なお、右鈴木医師は、本件において、搬痕が形成されて神経に癒着するまでに要した時間が一か月程度であつても不自然ではない旨述べるが(乙二)、同医師は前回事故の具体的内容のみならず、被告が外傷性右坐骨神経障害によつて自賠責保険後遺障害等級七級の認定を受けていること、本件事故前に前記神経剥離手術の必要性がありながら、被告が同手術を受けていなかつたこと等の経緯を知つた上で述べたものかどうか明確でないので(甲一二)、右判断を左右するものではない。

(2) 右殿部挫傷は、前示認定判断による本件事故時の転倒によつて通常発生し得る傷病であるから、本件事故との相当因果関係は認められる。

(3) 交感神経性ジストロフイー及びカウザルギーについては、被告が入院期間中終始右下肢の痛みやしびれ等をたびたび訴えていたこと(甲八、甲九のうちの各看護記録、甲一〇)からすると、本件事故により、前回事故による外傷性右坐骨神経損傷が悪化したことに起因するものと認められる。

3  被告の本件傷病に対する前回事故による寄与度について

(一) 本件傷病のうち、本件1傷病及び右殿部挫傷については、前示認定判断に照らし、前回事故の影響は認めることはできない。

(二) しかしながら、本件2傷病の右坐骨神経麻痺、交感神経性ジストロフイー、カウザルギーについては、前示認定判断のとおり、本件事故との相当因果関係が認められるものの、前回事故による外傷性右坐骨神経損傷に起因するところが大きいものというべきである。

(三) 前示認定のとおり本件事故前には被告が通常人とさほど変わりない日常生活を送つていたのであるが、前回事故で七級相当の後遺障害を受けているのであつて、その障害が完治しているとはおよそ考えられないこと、前示認定判断のとおり、右坐骨神経麻痺、交感神経性ジストロフイー、カウザルギーについては、前回事故に起因する程度が少なくなく、特にこれら右坐骨神経麻痺等による被告の症状が重いことも併せて勘案すると、右各傷病に対する前回事故の寄与度を相当程度考慮するのが公平であるというべきである。

四  争点4について

1  前示認定のとおり、被告は、河北総合病院及びスズキ多摩記念病院において、糖尿病、アルコール性肝障害の治療並びにそのための尿検査及び血液検査をたびたび受け・各病院での入院期間中、しばしば医師に事前連絡することなく病室を不在がちにし、飲酒していたのである。このような糖尿病等の検査、治療、被告の飲酒の事実は、被告に対する治療のための入院期間をいたずらに長引かせ、治療費等を増大させたことを推認することができ、また、病室に不在がちであつたことから一貫した治療を受けることができず、これによつて入院が長期化したとも考えられることから、被告の長期間の入院に対する寄与度を斟酌するのが相当である。

2  また、甲九(紹介状二枚目)によれば、被告は河北総合病院において外来通院を勧められたものの長期入院を希望したために、同病院からスズキ多摩記念病院に転院したことが認められ、長期間にわたる入院は、被告自身が自ら入院を希望していたことにも起因することが窺える。

3  以上のとおり、被告の私病、常識外れの入院態度、意思が寄与して被告の入院を長期化させたのであり、前示の被告の前回事故による素因も合わせて考慮し、なお、前示認定のとおり過失相殺により損害額を五〇パーセント控除すべきことを総合して検討すると、被告自身の入院長期化に対する要因及び前回事故による素因が寄与した割合は全体として四〇パーセントとするのが相当であり、被告が入院したことによつて発生した損害(後記五の1ないし4の項目の損害)額の算定に当たつては、過失相殺以外に、右割合を斟酌することとする。

五  争点5について

1  休業損害(主張額 二七六八万三〇九四円)

二六八万九九七九円

(一) 乙六、一六、一七の1、2、一九、二〇の1ないし8、二一の1ないし5によれば、本件では、被告がリベルデコーポレーシヨンなる会社の相談役であること、同会社の代表者が佐々木孝であること、同会社は建造物等のメンテナンス(ビル管理、室内外クリーニング、消毒、消臭、リアルエステート)を目的としていること、同会社が西武信用金庫阿佐ヶ谷支店で当座取引を行い、平成三年一月四日から平成四年二月二六日までの間、手形取引による入出金をしていたこと、同会社が複数の取引先を有していたこと、被告がそのうちのタパルーム、ビツクアツプルなる取引先の担当者となつていたことが認められる。

(二) ところで、被告は、ビル消毒清掃事業を営み、毎月一二七万七六〇〇円以上の収入がある旨主張し、予備的に、被告が「朝鮮大学校」を卒業しているから、少なくとも平成三年度の高専・短大卒程度の賃金センサスをもとに被告の収入を算定すべきである旨主張する。

しかしながら、被告がリベルテコーポレーシヨンなる会社の相談役の地位にあることは窺えるものの、被告自らがこの会社の事業を営み、その収益が全て被告に帰属することを裏付ける具体的な証拠は全くないし(被告は、代表者佐々木孝が自分との共同経営者であつたが、数年前に営業から手を引いた旨述べるが、右主張の事実には証拠が全くない。)、被告が同会社の担当者として稼働していたことは認められるものの、その具体的収入は不明である。

また、被告が高専又は短大に相当するという「朝鮮大学校」を卒業したことを認める証拠も全くない。

したがつて、被告の主張はいずれも採用することができない。

(三) 被告は、本件事故当時四五歳(昭和二一年八月二〇日生。乙七)の男子であり、賃金センサス平成三年度第一巻第一表・産業計・企業規模計・男子労働者・学歴計・全年齢の賃金額五三三万六一〇〇円を基礎として、休業期間については平成三年一〇月六日から平成四年四月七日まで休業せざるを得なかつたものと認められるので、被告の休業損害は、二五五万八四〇四円と認めるのが相当である。

五三三万六一〇〇円÷三六五×一八四=二六八万九九七九円

(入通院日数の合計)(円未満切捨て)

2  治療費(主張額 五五〇万八〇二一円) 五五〇万八〇二一円

乙四の一ないし八、乙五の一ないし三により、被告が支払つた治療費は五五〇万八〇二一円であることが認められる。

3  慰謝料(主張額 二六四万円) 二三〇万円

前示争いのない事実によれば、被告の入院期間は一八二日、通院実日数は二日であり、傷害慰謝料として二三〇万円を認めるのが相当である。

4  入院雑費(主張額 二一万八四〇〇円) 二一万八四〇〇円

入院雑費については一日一二〇〇円と認め、入院期間は前示認定のとおり一八二日であるから、二一万八四〇〇万円を認めるのが相当である。

5  小計

前記1ないし4の各金額の合計は、一〇七一万六四〇〇円となる。

6  過失相殺並びに前回事故及び被告の入院態度等による寄与分の控除

本件事故における被告の過失割合五〇パーセント、前回事故及び被告の入院態度等の寄与分四〇パーセントを勘案すると、本件における被告の損害額は、以下のとおり、三二一万四九二〇円となる。

一〇七一万六四〇〇円×(一-〇・五)×(一-〇・四)=三二一万四九二〇円

第三結論

以上により、被告は原告らに対して三二一万四九二〇円の損害賠償を求めることができるところ、被告は前示認定のとおり、損害賠償として既に九五万円を受領しているから、被告は、原告らに対して二二六万四九二〇円の損害賠償債権を有していることとなる。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判官 南敏文 大工強 渡邉和義)

(別紙事故目録)

一 日時 平成三年一〇月六日午後六時五五分ころ

二 場所 東京都杉並区阿佐ヶ谷北六丁目五番一号先路上(早稲田通り)

三 加害車(原告車) 原告石川健運転の普通乗用自動車(練馬五九な四八六二。原告石川良二保有)

四 被害車(被告車) 被告運転の足踏式自転車

五 事故態様 右場所のT字路交差点において、右折進行中の原告車が、前方の歩道から早稲田通りを横断しようとした被告車と衝突したために、被告は転倒した(別紙交通事故現場見取図参照)。

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